代表者のご紹介

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夫婦問題の相談に対応するのは、カウンセラー兼行政書士である西田和雅です。誰でも夫婦問題の相談をする場合は「どんな人が対応するんだろう」と思うでしょう。

経験・知識・資格などが気になる方もいれば、どのような思いや考え方で仕事をしているか、という信条的な部分を重視される方もいるでしょう。

その他、相談に直接関係のない出身地・趣味・年齢などから、親近感や安心感を持つこともありますので、西田和雅のご紹介をさせていただきます。

子供の目から見た離婚(西田和雅自身の体験記)

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離婚問題を取り扱う私ですが、私自身に離婚の経験はありません。ただ、私の母親が二度の離別を経験しておりますので「子供の目からみた離婚」という形で体験談をご紹介します。この体験談は、別ページに掲載しておりますので、下記リンクからご覧ください。

 

”カウンセリング”に関する私の考え方

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私は、平成16年に兵庫県高砂市で夫婦問題の相談業務を開始しました。開業当初は知識も経験も不十分でしたが「真面目に頑張っていれば何とかなるはず」という楽天的な性格のおかげで順調に仕事をこなしてきました。

ただ、私の地元は岡山でしたので「どうせ戻るなら早い方がいい」と考え、平成18年に岡山に戻って新たなスタートを切りました。

そんな慌ただしい開業から10年経って思うこと・・・それは「夫婦問題で一番大切なのは心の問題の解決だ」ということです。

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どんな有益な法律も使う人間の心が不健康なら役に立たない

どんなに有益な法律や情報も、それを使う人間の心が不健康なら何の役にも立ちません。たとえば、離婚後に子供を育てる親が、別れた配偶者に養育費を請求できることは誰でも知っていますが、当事者自身が養育費を請求する気持ちを持つことができなければ、せっかくの法律も台無しです。

「お金をもらう権利があるのに行使しないなんてホント?」と、離婚を経験されていない方や独身の方は思われることでしょう。

しかし、現実は法律上の理屈だけで動いてはいません。「この夫とはもう関わりたくない」と思って離婚した方などは「養育費をもらうと、子供との面会も認めないといけない・・・」と面会交流の実施に躊躇することがあります。すると「養育費はいらないから今後一切子供に会いに来ないで」という言葉が出たきたりするのです。

こんなエピソードを話す私の母も、離婚する際に同じことを言い、私と実父の関係を断絶させました。ですから、複雑な親の感情によって子供の養育費や面会交流の権利が失われることは、私にとって非常に身近で現実的な問題なのです。

本人がやる気にならなければ何もできない

このようなケースでいくら「養育費を請求する権利があります」と形式的な理屈をアドバイスしても、相手は全く別の「夫と関わりたくない」という感情で請求を断念しているのですから結論は変わりません。

もし変わるとすれば、それは本人が請求を断念した原因をもう一度じっくり時間をかけて考え、子供のために養育費を諦めない方が良いことを本質的な部分で理解し、請求する勇気と覚悟を持ったときだけです。

私は開業当初「法律上の理屈を説明すれば分かるはず」と思って様々なアドバイスをしていました。しかし、「個人的な感情」という全く別次元のネガティブ思考に捉われた方の考え方は、そう簡単には変わりませんでした。

養育費を請求した方が良いと頭では分かっていても、「請求して夫が怒ったらどうしよう」といった漠然とした不安は、本人の健全な判断を鈍らせてしまうのです。

そこで私は、相談者と腰を据えてじっくり話し合いました。決して上手な話ではありませんでしたが、相談者と真剣に向き合って対話し続けていくと、そこから徐々に信頼と勇気が生まれてきました。

大袈裟かもしれませんが、いったん勇気を手に入れたら怖いものはありません。私が夫婦相談を続けていて分かったこと、それは「勇気と覚悟を持って行動できたら、思い通りの結果が得られなくても自力で先に進めるようになる」ということです。

よく 「やる気になれば何でもできる」という言葉を聞きますが、逆に言えば「やる気がなければ何もできない」ということです。だからこそ、全ての原点である、やる気を引き出すためのカウンセリングは、夫婦問題の解決に必要不可欠な要素だと、私は自信を持って言うことができます。

夫婦間の問題は、運転免許証の更新手続きのように、形式的な手続きだけで片付くものではありません。ですから、最低限の勇気と覚悟は絶対に必要です。

自分の弱い心と戦う覚悟ができたら、勝ったも同然。「人事を尽くして天命を待つ」というように、全力をかけて努力をしたら、その後は静かに待てばいいだけです。

私の仕事の主たる目的は公正証書を作ることではない

ここで一つ、4人のレンガ職人の話をご紹介しましょう。

4人のレンガ職人が毎日レンガを積んでいると、ある人が「あなたはどうして毎日レンガを積んでいるのですか」と尋ねました。すると、職人ABCDはそれぞれ次のように答えました。

  • 職人A 「レンガを積むのが私の仕事だからです」
  • 職人B 「レンガを積んで壁を作るのが私の仕事だからです」
  • 職人C 「レンガを積んで壁を造り、教会を造るのが私の仕事だからです」
  • 職人D 「レンガを積んで壁を造り、教会を造って人々に安らぎの場を与えるのが私の仕事だからです」

さて、皆さんはこの4人の職人の考え方をどのように評価したでしょう。表面的には「レンガを積む」という全く同じ仕事ですが、それぞれの仕事に対する目的は違っています。この目的が違うと、それに応じてその他の行動や結果も変わってくる・・・。皆さんはそう思いませんか?

私は行政書士として離婚の公正証書を作っています。しかし、私はこのエピソードを教訓に、皆さんには常々「私の仕事は公正証書を作ることではなく、皆さんを幸せに近づけることだと思っています。」とお伝えしています。

いくら完璧な公正証書を作ったところで、お客様が幸せに近づけなければ意味がありません。たとえば「どんな手を使ってでも絶対に養育費は払わない」と固く決意した人を当事者にして養育費の記載した公正証書を作成しても、逃げる人は逃げます。

逃げると覚悟した人は、職を変え、転居を繰り返し、財産の名義も変えてしまいます。そのような人に「公正証書」という正論など一切通用しません。

形式上で完璧な公正証書も、現実的な意味や結果をもたらさなければ、無価値であり無意味です。そのような実質や背景を無視して、目の前の形式的な公正証書の完成に満足していたとしたら、それは「愚かの極み」というべきものでしょう。

公正証書を作成する仕事をしている私が言うのもどうかと思いますが、前述した「逃げると覚悟した人」のエピソードからも分かるとおり、本当に安心できる契約に必要なものは公正証書という形ではなく、契約をする当事者の「契約を守ろうとする心」です。そしてその心を作り出し、支えるのが「カウンセリング」です。

当初は「カウンセリング」という仕事に懐疑の目を向けていた私ですが、お客様の反応から、カウンセリングの必要性と意味を学びました。しかし、残念ながら、法律的な業界では「行政書士がカウンセリングなんておかしい!」という声の方が多数を占めているのが現実です。

行政書士がカウンセリングの技法や考え方を採り入れることにデメリットはないのに拒否的な反応が多いのは、その根底に、行政書士やカウンセリングに対する偏見があるからではないでしょうか。

しかし、そのような偏見は「離婚する奴は愚かな人間」という差別的な考え方に繋がるだけです。カウンセリングの考え方や技法を積極的に取り入れることに何の問題があるでしょうか?何のデメリットがあるでしょうか?

離婚に悩む方々のために少しでも役立つことなら採り入れたらいい。単にそれだけのことです。偏見を持たずにカウンセリングを採り入れる自分になれたこと・・・それがこの10年間における私の最も大きな収穫です。

性格診断

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性格の診断や分析に繋がると考えられそうな、いくつかの客観的なデータを以下に掲げます。

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エゴグラムの診断結果

  • 性格
    思い遣りや寛容さの豊かな反面、自由奔放で我儘な所も多く、気儘で頑固な所も人一倍目立つタイプです。変化の少ない生活だと直ぐに飽きが来るタイプで、刺激剤と興奮剤を絶えず必要としている性格です。計算され尽くした世界に生きる事は苦手で、所々に未知の薮が覗いている世界の方を好みます。仕事に対する責任感とか、社会に対する使命感の様な類は極く普通で、判断力、分析力も人並です。
  • 恋愛・結婚
    思い遣りと同情心が厚く、或る一面では非常に寛容な所も有り、感情量が大きいのでユーモアや話題も豊富な貴方に対して相手は、すばらしいタイプと惚れ込んで仕舞う可能性が高いでしょう。結婚してみて貴方の天衣無縫な我儘さや、自分勝手な頑固さに驚いて仕舞うかも知れません。そこの所を良く理解して置かないと、案外簡単にTHE・ENDと云う事に成り兼ねません。
  • 職業適性
    文筆家や芸能、芸術方面の職業に適性が多いでしょう。標準的なタイプに比べて、喜怒哀楽の落差の激しい貴方の性格の特性を活かせる道は、そう云う方面にしか無い筈だからです。勿論そう云う分野に見合った才能と人一倍の努力が伴っての話ですが、・・・・・・・
  • 対人関係
    浅い付き合いの内は、楽しがって貰える場合が多いでしょうが、親密な交際になった時に貴方は、随所に奔放な我儘さと、手前勝手な頑固さを見せ始める為に、相手に失望感を与えたり、貴方に対する評価をダウンさせたりする結果を生み易いものと認識して置く事が必要でしょう。

職業適性診断を受けた結果

ふと、FFS理論に基づいて職業適性の診断を行ってみたところ「タグボート型」として以下のような診断結果が出ました。

あなたの持ち味は、環境の変化を敏感に感知し、感覚的に判断し、自ら積極的に突っ走しります。最新の断片的情報からリスクを省みずにまずはトライしてみようと動くタイプです。アントレプレナータイプでもあります。

しかし、かなり飽きっぽい面があり、継続して組織を維持、拡大させることが苦手です。大きな組織を率いる場合、朝令暮改になる可能性も高いです。

この飽きっぽさが、新しいニッチを生む源泉でもあるのです。 あなたが最も力を発揮するのは、新規業務や事業の立ち上げ期です。

従って、ベンチャー系企業やオーナー系企業の風土に向きます。逆に歴史を経て安定期に入っている組織や規模の大きい組織において、秩序を乱す可能性が極めて大きいため、面接等で嫌われるかもしれません。

しかし、最近、アントレプレナータイプはどの企業でも求められていますので、果敢にチャレンジする手はあります。

これを見て「確かに組織で働いていたときは、職場のやり方に疑問を投げかけていたな・・・」と思いながら、「こんな結果を自己紹介欄に載せていいの?」という不安も抱きつつ、「これが本性だからさらけ出そう」ということで掲載することにしました。以下は「力を発揮する分野」の診断結果です。

  • 営業系
    新規市場の開拓や、マーケットニーズを読み取ることが求められる部門や企業に強みが活かせる
  • 開発系
    新しいアイデアを出すことは得意。過去を否定して全く創造的なものを生み出す可能性が高いが、具体的に構築するタイプではない。概念設計向き
  • 管理系
    管理システムの変革時期には強みを発揮できるが、基本的に整理整頓、継続性がなく、飽きっぽいために適性がある職種ではない

エニアグラムの結果

エニアグラムの診断によると「夢見る気質」という言葉と共に、以下のような結果が出ました。

  • 良い精神状態の時
    心温かい・思いやりがある・表現力が豊か・独創的
  • 悪い精神状態の時
    意気消沈する・自意識過剰・片意地・気まぐれ
  • 性格
    ・豊かな感性を持つ芸術家タイプ。
    ・音楽や芸術を愛し、エスプリに富んでいる。
    ・深い情愛で他人と接し、心温まる関係をつくることができる。
  • 注意
    自分が周囲に理解されないと、自分を悲劇の主人公に仕立てて無気力で退廃的になり、殻に閉じこもってしまう場合もある。
  • 仕事
    自分の独創的な探求を支えるために、芸術や言語を手段とする音楽家、小説家、ジャーナリストなどの仕事に向いています。

うーむ、傾向はだいぶ当たっているような気がします。「悪い評価に繋がらなければいいのだが・・・」と思いながらも、またまた掲載する私なのでした。

お人好し

小学校の通知表に「お人好し」と書かれ、最も身近な母親にも「この子はほんとにお人好しだから・・・」と、困った口ぶりで言われたことがありました。「分かるようで分からない言葉だな・・・」と思い、辞書で具体的な意味を調べました。すると・・・

何事も善意にとらえる傾向があり、他人に利用されたりだまされたりしやすいこと。また、そのさまや、そういう人物。用法「頼まれたら嫌と言えないお人よしな性格」

と書いてありました。それを見て、ギクッとしながら「ま、まぁ、当たってるか・・・」と思ってしまった私でした。

過去に経験した仕事

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専門家が過去にどんな経験をしたかは気になるところだと思いますので、以下にご紹介していきます。

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正社員として働いた仕事

農協(JA)

私は、岡山県立岡山東商業高校を卒業した後「何となく安定してそうだから」でいう理由で就職し、当初は、夢と希望を持って真面目に働いていました。しかし、真面目に仕事のことを考えるほどに「何でこんなやり方なの?」と疑問に思うことがたくさん出てきました。

ご存知の方も多いと思いますが、農協の支所・職員には毎年「共済(保険)」を売る一定のノルマが課せられます。

ノルマ自体に否定的な考えはありませんでしたが、顧客である農協の組合員の方がの「農協は共済ばかり勧めるんじゃなく、もっと農家のことを考えた仕事をしないといけない!」という声を無視して、毎年、課せられたノルマを単にこなしていくだけの単調な作業には耐え切れない思いでいっぱいでした。

それでも私は入って間もない若造でしたから、与えられたノルマを達成しようと頑張りました。しかし、そんな努力をしたときでも上司に「早く目標を達成すると簡単に目標を達成できると思われて、来年のノルマが大きく増やされる可能性があるから、あまりやり過ぎないように・・・」と言われたため、「ダメだこりゃ」と思い、退職を考えるようになりました。

農協にも能力があり、やる気もあり、人間的に素晴らしい人はたくさんいました。しかし、そのような方々も、長年のうちに変化を受けれない体質が出来上がった農協の体質を変えることはできず、「長いものには巻かれろ」という(ある意味では)大人の考え方に変わって溶け込んでいる様子でした。

しかし私は、前述の職業定期性診断にもありますとおり「環境の変化を敏感に感知し、感覚的に判断し、最新の断片的情報からリスクを省みずにまずはトライしてみようと動く」ようなタイプですから、まさに水と油の関係です。

その適性診断が「歴史を経て安定期に入っている組織や規模の大きい組織において、秩序を乱す可能性が極めて大きい」と診断したとおりに、私は「職場の方針に従いたくないなら出るしかない」と思い、退職を決意しました。

当時は、自分の職業適性など全く考えていませんでしたが、いざ診断結果を見てみると、自分の性分と決断・行動があまりにも辻褄が合っていたため、自分の性格や性分に合った仕事や職場を選ぶことの重要性に、改めて気付かされました。

司法書士事務所

司法書士の勉強中、実務も覚えようと就職先を探し、たどり着いたのが香川県高松市の司法書士事務所。私の出身地は岡山県岡山市ですが、司法書士の募集先が近隣になかったため県外に出ました。

ここでの出会いは私の人生で大きな意味を持つことになりました。多くの尊敬する先生方と巡り会うことができ「世の中そう捨てたもんじゃないな」と本気で思いました。「孟母三遷」とでも言いましょうか、人間育つ環境は本当に大事だと感じました。

アルバイトとして働いた仕事

私は資格の勉強をしていた時期に、日銭を稼ぐために結構な数のアルバイトを経験しました。ほとんどが短期アルバイト。司法書士の勉強を続けるために日銭を稼ぐ必要があったのです。

「もっと環境のいい職場で働けば良かったのに」と言われるかもしれませんが、人が嫌がる仕事ほど報酬は高いのもこれまた事実なんですよね・・・。

大手運送会社2社

死ぬほどきつかった…。長年働いている人は本当に凄いと思います。従業員の中に一人、イヤミを言う天才オヤジが一人いました。何を言っても”全て”人を怒らせる返答ができる人だったのですが、これもある意味スゴイ技術です。でも正直私も殺意を覚えました。

工事現場の警備(交通整理など)

タバコを吸いまくる人が多かった。そういった人たちが一つの部屋に30人くらい集まると、部屋がタバコの煙で真っ白になります。タバコを吸わない私は窒息死しそうでした。そういえば金髪のライオン丸みたいなのがいたなぁ。「ここは動物園か」と思った。

ファーストフード店

平日の夜、JAの仕事が終わった後にアルバイト。どこまで働けるか自分と格闘していました。その年私は365日一切休まず働き続けました。「元気があれば何でもできる」という猪木の言葉は本当です。

ちなみにその店の従業員がする返事は「ハイ、サンキュー」うーん、どうしても馴染めませんでした。

鰹節工場

高校を卒業する直前に、学校の授業が終わった後2ヶ月くらい働いたかな。自分で稼いだ初めてのお金は確か5万円くらい(2か月分)。25型のテレビを買いました。買ったときは嬉しかったなあ…。

花屋さん

花の管理は本当に大変。花に興味のない私は、お客さんから「これは何の花?いつ頃咲くの?」などと質問されてもさっぱり答えられず、気マズイ思いをしました。そういえば朝市でも花を売ったりしたなぁ…。ちなみに私の妻はいけばなの小原流で2級。私にはその価値がよくわかりません。ただ、玄関にいけばなが活けてあると粗野な私でも心が和みます。

パチンコ店

2ヶ月くらい働きました。仕事が終わると体中がタバコ臭くてね…パチンコをしない私には、タバコ臭いあのホールは最悪の環境でした。

同じアルバイトの人間が「皆で一緒に麻雀をやろう」と誘ってきたので、少しくらいは交流を持たなければ、と思い一人の男の家に私を含め4人の若者が集まりました。

麻雀をしている最中、その中の一人が「面白い物持ってきた」とある物を取り出しました。なんとそれは「白い粉」、そうドラッグですね。それを見た他の二人は「スゲー!」などといって興味津々。ついには私を除いた3人が吸い始めてしまいました。

私はそれを見て「帰らせてもらうわ、俺はこんなことをしに来たわけじゃない」と吐き捨て、家を出ました。 去り際に、一人の男が言いました「けっ、真面目すぎるんだよ、面白くねー奴」と。 そう、あの中ではドラッグを拒否した私は真面目だったのです…。

人間育つ環境は本当に大事です。強い信念を持たない人間がこういった世界に入り込むとすぐにダメになってしまうので、皆さんも気をつけてください。

タオル工場

ホテル等で使用したタオルを洗濯・クリーニングする仕事。1週間くらいだったしょうか。もうヘトヘトになりました。一緒に働いているおばさんたちは本当にパワフルでしたね。

今の日本があるのは実はこの人たちのおかげかもしれない、なーんてのは大袈裟かもしれませんが、男性は外で働き家事もする女性を尊敬しなければならないと思います。

大手パン工場

徹底的に計画され尽くした業務内容にビックリ。アルバイトの働き方も機械と同じです。緻密な指示ができる職場では「命令されたこと以外はしないこと」と言います。

逆に「言われなくても出来なきゃいけない」などとカッコいいことを言う人に限って、最低限言わなければならないことも言いません。この工場の徹底した管理体制は見事ですが、人間が機械化しすぎのようにも感じました。

ブティックホテルのフロア係

どんな世界なんだろうとドキドキしながら働いてみましたが、結構キツイ仕事でした。なんてったって、風呂の掃除が大変。掃除した後は、大きなタオルを何枚も使って、風呂場の水滴をぜーんぶ拭き取るのです。

えらかったなぁ。働いているのは「近所のおばちゃん」って感じの人だったり、真面目一筋って感じのサラリーマンだったり…働いていることが他人に知られたくない人が結構働いてましたね。

経営者も実は農家のオジサンだったりしまして…実際は何のドキドキ話もありませんでした。

通行量調査

道路を通行する車の数を数える仕事です。よく道端で計っている若者がいますよね。あれです。深夜から朝まで数えることもありましたね。冬にその調査をしたときは寒くて死にそうだったなぁ。

つい寝てしまって、車が何台通ったとか実際はほとんど数えてなくて、後で適当な数字を埋めるのが大変でした。

運転代行

無線がとにかく聞き取りにくかった。どんなに耳をすましてもよく聞こえないのです。それはさておき、やたら威張り散らす従業員がいて頭が痛くなりました。人生長くないのですから、あまり変な人間と関わりあいたくないものです。

印刷工場

印刷工場の手伝いをしました。とにかく紙は重い!最初から最後まで肉体労働でもうクタクタ。印刷内容を見ると、B級のH漫画本でした。

その会社の社長が出てきて、こんなくだらない本、ホントは印刷したくないんだけどなぁ…なんて愚痴をこぼしていました。

それにしても何でそんな場面を覚えているんだろう?どんな記憶が長く残るかは本人でもホントわかりませんね。

スーパー・コンビニ等の開店準備

派遣会社から「1日だけのアルバイト」として紹介してもらいました。 特に思い出すこともないなぁ。

ゲームセンターの管理

一番楽な仕事だったかも。とにかく店内を見回る。タバコの吸殻を片付ける。そんなところかな。辛いといえばずっと立っていることくらいかな。

JA共済の勧誘

派遣会社からの紹介でJAの共済を飛び込みで勧誘することになりました。時給1500円だったかな。「昔JAで勤務していた」という経歴だけで選ばれたようです。

不動産会社の事務

あの頃はパソコンなしで事務をしていたなぁ。今ではパソコン抜きに事務は考えられません。時代は変わったものだ。

スポーツ(観戦含む)

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人のタイプを考えるとき「文科系か体育会系か」という点で人物を判断される方もあると思いますので、スポーツの実績や経験、関心などを以下に掲げます。

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柔道

小学校4年生から高校卒業まで一貫して柔道をしていました。高校生の頃はやたらと背筋力があり、3年生の頃には210キロを記録していました。妻にそのことを話すと「過去の話でしょ!」と一喝されますが。

しかし、柔道自体は大して強くありませんでした。簡単にいうと「センスが無い」ので、技にキレがなく、投げ技でカッコよく一本勝ちするようなことはほとんどありませんでした。

とはいえ、小学4年生の頃からずっと柔道一筋でしたので、そう簡単には投げられない「粘り」だけはありました。ですから、試合をすると「倒せないけど倒されない」という時間がかかって見栄えのしない内容が多かったのです。

また、技のキレがさほど求められない寝技は結構強く、高校3年生の時には、他行との合同練習でも試合でも寝技で負けたことはありませんでした。

ですから、このような特性を生かそうと考えた高校の柔道の先生は、私が高校3年生になって団体戦で戦う際「先鋒・次鋒・中堅で何とかポイントを取り、副将・大将は負けずに逃げ切る」という戦略を取り、確実なポイントは期待できないが倒されにくい私を大将に据えました。

当時の私は最も軽い「60キロ以下級」の選手でしたが、団体戦は体重が無関係であったため、他校の重量級の選手と対戦してばかり対戦し、必死に負けないよう「耐える」試合を続けていました。

当時は深く考えることもなく戦っていましたが、振り返ってみると、この時の「センスはないが負けずに耐えて頑張る」という生き方を、その後もずっと続けているな・・・というのが率直な感想です。

さて、柔道競技での成果といえば、中学生の頃に市大会で準優勝、高校の時に県大会でベスト4に入ったくらいで、団体戦も高校時代はほとんどベスト8どまりでした。

当時は漠然と「たくさん練習した人ほど上手くなる」と考えいましたが、今では「いくら頑張ってもよく考えて効率的に練習しないと大して上手くはならない」と考えが変わりました。

小学4年生から柔道を続けている割には大した成績は残せなかったのは「いつまでに、どんな目標に向けて、どんな方法で頑張るのか」という点の十分な検討・計画・実行ができていなかったからです。

この点はスポーツだけでなく、学校の勉強、資格の勉強、仕事やプライベートの人間関係でも同じなのですが、当時の私には分かりませんでした。

サッカー

当時は今ほどサッカーは盛んではなかったため、実際にサッカーをする機会はほとんどありませんでしたが、当時「キャプテン翼」というサッカー漫画が大人気で、その影響を受けてサッカーに相当興味を持っていました。

ですから、Jリーグが開幕したときは「サッカーもいよいよメジャーになってきた」と心躍る気持ちでテレビにかじりつき、ジーコのいる鹿島アントラーズが大方の予想を覆して優勝したときは感動して、後にジーコの著書を買って鹿島アントラーズのファンになりました。

当時のアントラーズのホームゲームはいつも満員でスタジアムはいつも相当盛り上がっていましたので「こんな試合がいつも身近で見られたらどんなにいいだろう・・・」と思っていました。ですから、自分で独立開業することになったときは真剣に鹿嶋町で開業しようかと考えたりもしました。(実際にサッカーの試合を観に行ったのは10回程度ですが)

サッカーの試合で一番心に残っているのは、月並みですが「ドーハの悲劇」そしてその後の「ジョホールバルの歓喜」と名づけられた、ワールドカップ出場をかけた二つの試合です。

「ドーハの悲劇」の試合では、日本中でワールドカップ出場を期待する雰囲気が最高潮に達していたほか、試合のロスタイムまでワールドカップ出場が目前になっていただけに相当ショックを受けました。

テレビの解説者たちもあまりのショックに声が出ずにお葬式のような雰囲気になっていましたが、私もテレビの前に倒れて数分間動けなくなっていました。

しかしその4年後、日本はまたもやワールドカップ出場をかけた試合(ジョホールバルの歓喜)でシーソーゲームを繰り広げ、やっとワールドカップ出場を決めたときは、4年前の反動で喜びもひとしおでした。

この時日本中がどれだけ盛り上がっていたか若い方は知らないかもしれませんが、この試合を解説していた山本浩さんは、当時の私の気持ちを代弁するかのように次のようなことを語っていました。

このピッチの上、円陣を組んで今散った日本代表は、私達にとって「彼等」ではありません。これは「私達そのもの」です。

他人の試合を自分の試合のように感情移入できる試合はそれほど多くありません。結果が出ないとマスコミは選手をボロボロに叩きまくったりもしますが、私のような周りの人間は結局何もせずに感動させてもらっているだけですから、頑張った選手には本当に感謝しないといけないですね。

野球

小学生の頃、無理やり出された地域の少年野球大会でエラーを連発。自分の責任による失点は確か5~6点あったような・・・。帰り道で「西田のエラーがなければ勝てた」と口々に言われ、それがトラウマとなって野球をやるのが怖くなってしまいました。

反骨精神で練習するくらいのパワーがあればよかったのですが、「自分には野球のセンスは無い」と確信し、別のスポーツに目を向けるようになりました。

プロ野球にそれほどはまった記憶はないのですが、清原・秋山・デストラーデ・石毛・辻・・・など、西武の黄金時代は素直に”凄い!”と感動しました。

しかし89年、西武に対しブライアントの4連発が飛び出て近鉄が逆転優勝したときは感動しましたね。試合はパリーグの方がホント面白かった。

趣味-映画鑑賞

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あまりにもオーソドックス過ぎますが、趣味は映画鑑賞です。高校生の頃などは、勉強はまったくせずに、1日1作品くらいのペースで映画ばかり観ていました。今までで面白いと思った映画を掲げますので、感性面での相性などもご検討下さい。

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ショーシャンクの空に

スティーブン・キング原作の映画の中で最高傑作との呼び声高い映画です。観た後に心地良い感じが残る映画って好きなんですよね。

心から「良かった~」としみじみ思える作品ってそうは巡り会えません。くらーい気持ちになったときにこの映画を観ると、ティムロビンス演じる主人公アンディに特に感情移入してしまいます。

どんなにつらい状況に陥っても絶対に希望を捨てないあの姿を見て感動しない人はいないでしょう。ちなみに映画の評価はこちら

フォレストガンプ

確か「ショーシャンクの空に」と同じ1994年に上映され、「ショーシャンクの空に」を押しのけてアカデミー賞に輝いた感動の名作です。今考えてみるとこの年は当たり年だったんですねぇ。

当時はレンタルショップでのフォレストガンプ一色で、ショーシャンクの知名度はイマイチでした(今ではレンタルショップでの人気)

この映画もショーシャンクと同じように、観た後に心地良い感じの残る映画です。主人公ガンプのまっすぐな生き方は、その後の私の生き方に大きな影響を与えたと思います。

友達や恋人や親を大事にする。どんなに苦境に立たされてもあきらめず、ひたすら目の前のことに全力を尽くす・・・。そんなガンプだからこそサブタイトルに「一期一会」と付け加えられたのかもしれません。

天空の城ラピュタ

ドキドキワクワクさせてくれる宮崎映画の真骨頂がこの映画だと思います。ストーリーも主人公もそれを取り巻く脇役も全部魅力的!主人公のパズーが「ラピュタは本当にあったんだ!」と叫んだときは、私の胸も同様に高鳴ります。

何ていうんでしょう・・・ラピュタって私にとっては「夢」とか「希望」みたいな存在ですね。誰しも冒険心みたいなものが、どこかに潜んでいると思いますが、その冒険心を存分にくすぐってくれるのがこの作品です。

こんな冒険をシータと一緒にできたらなぁ・・・と考える男性は他にもたくさんいるのでは?

マルチュク青春通り

韓流ブームに乗って一時期韓国映画ばかり見ていた頃、久々に熱ーい気持ちにさせてくれる映画に出会いました。ドラマ「天国の階段」で大ブレークしたクオン・サンウ主演の青春物語です。(天国の階段も感動して泣きました)

今でこそ「マルチュク青春通り」ですが、当初は「マルチュク通り残酷史」というタイトルだったと思います。響きがキツイから手直ししたのかもしれませんが、内容は確かに「残酷な青春の一ページ」を描いています。

ブルース・リーが大好きな男性には絶対オススメです。

ジョゼと虎と魚たち

身体障害者である主人公ジョゼ(池脇千鶴)と、大学生の恒夫(妻夫木聡)の恋愛ストーリーです。元々私は恋愛物はあまり見ないのですが、こうして一押し映画を並べてみると恋愛要素の詰まったものが多いですね(笑)

とにもかくにも、池脇千鶴の演技にハマッてしまいました。彼女の名演あってこそ、この映画が成り立っているといっても過言ではないでしょう。

ただ、最後はなんだかとても切ない気持ちになってしまいましたね。「恒夫!しっかりせんかい!」と言いたい男性は多かったと思いますが、現実の世の中でジョゼを受け入れられる男がどれだけいるだろう?と真剣に考えました。

好きな歌手

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長渕剛

好き嫌いの分かれる長渕剛ですが、若かりし頃の彼の詩はまさにポエム。腹の底にジーンと響きわたるようないい詩を書きますね。

最近は、あまりこの手の感傷に浸れるような曲が少なくなって寂しいなぁ。私は「顔」という詩にあるこんなフレーズが好きです。

「周りの人が僕のことを面白がっている
生意気な奴だと口にして
鼻で笑って信用しない

偉い人に頭を下げたら
イイ奴だと口々に褒められた
心と裏腹の顔を鏡に写したら
恥ずかしい自分に気がついた



ひとつの山を超えたら
そこから下を見下ろす人もいる
向こうにそびえるはるか高い山を忘れて
今の自分に酔う人もいる

僕の人生 そう自分の人生
したたかに生きてゆかなければ
後ろ指を指す奴の心は いつも寒かろう
今は黙って春を待とう」

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